ゆーたんです♪
2020年の新型コロナウイルスの流行。最初の緊急事態宣言のときには都内から満員電車が消えました。
しかし、それもすっかり過去の話。都心の電車の混雑度は(コロナ前までいかずとも)かなり戻ってきているように感じます。
もちろん、テレワークが定着し、「ほとんど出社する必要がなくなった」「自宅や旅行先など、どこからでも仕事ができるようになっている」という企業も出てきています。他方で「リアル出社」を基本とする企業も増えており、結局「満員電車に揺られて定時に出社する」仕事スタイルに戻ってしまった人も少なくないように思います。
「そもそもオフィスに毎朝決まった時間に来て、仕事をする必要性がある人はどのくらいいるんだろう?」「こんなつらい思いしてまで働かなくちゃいけないのかな?」
そんなことを考えていたら、あっという間に時間が過ぎてしまいました。
今日は「働くこと」について書いてみますね。
「働けるにもかかわらず働かないこと」を悪とみなす風潮は根強い
(Featured image by:Shutterstock)
今日では、働き方改革の影響もあって、残業や長時間労働を美徳とする風潮はだいぶ薄れてきたように思います。その一方で、個人的には、まだまだ日本においては「働くこと」は正しいことで、「働けるにもかかわらず働かないこと」を悪とみなす風潮は根強いように感じています。
なるべく、自分でも気を付けているのですが、ついつい「働きたくないなあ」なんていう本音をぽろっと吐いてしまうことがあります。そんなときには、えてしてお叱りの言葉が、親・先生・知人・同僚等から容赦なく飛んできます。
だいたい、その時の反応はきまって「働けるのに働かないなんてありえない」「働かないでどうやって生きていくの」、あげくの果てには「働くのは国民の義務」といった具合です。
「働かないこと」は憲法違反!?
先ほどの「働くのは国民の義務」という言葉についてですが、日本国憲法には、勤労の義務が記されています。
第二十七条 すべて国民は、勤労の権利を有し、義務を負ふ。
日本国憲法
つまり、この条文をそのまま読むと、働かないことは憲法に違反することになりますね。「勤労の義務」をうたう国は、先進国ではあまり例がありません。
そして、軽犯罪法には以下の条文があります。
第一条 左の各号の一に該当する者は、これを拘留又は科料に処する。
四 生計の途がないのに、働く能力がありながら職業に就く意思を有せず、且つ、一定の住居を持たない者で諸方をうろついたもの
軽犯罪法
つまり、働かずにうろついていると、拘留または科料といった刑罰を科されます。これは刑事施設に入れられたり、罰金を科されたりということです。
もちろん、実際に1条4号違反で逮捕されるケースは非常に稀ですが、過去には、2007年に奈良県の男性が逮捕されています(求人情報誌があり、職業に就く意思を有していたということで二審で逆転無罪になったようです)
もっとも、この条文を読む限りにおいては、犯罪が成立するためには、「生計の途がない」「働けるのに働く意思がない」「住居がない」「諸方をうろつく」という四条件が成り立つ必要があると解されるはずです。
そのため、働かなくても生計を立てられる見込みがあれば、働かなくても法律違反にはならないかと思います(憲法違反となる可能性は捨てきれませんが)。
「勤労の義務」という言葉の重苦しさ
高度経済成長のように、右肩上がりで経済が成長していた社会であれば、「一生懸命仕事に取り組む→成果が出る→給料が上がる→仕事へのやる気が向上する」という好循環が生まれていましたし、そうした社会においては「勤労の義務」という言葉も前向きにとらえることができたのかもしれません。
しかし、そんな時代はとうに過ぎ去りました。今日の私たちは、一部の「超」優秀な人を除けば、いくら働いても給料は物価の伸び以上には上がらず、税金も上がり、生活は苦しくなる一方です。
それでいて、急速な少子高齢化から社会保障制度への信頼が揺らいでいて、老後の不安からいつまでも働かなければならない…今の日本はそんな悪循環に陥っているように思います。
こうした経済状況のなかで、いまだに「勤労の義務」が掲げられていることには、個人的には息苦しさを感じていて、「働かなければならない」「働かなければ生きていけない」という一種の強迫観念を植え付けているように思います。
人生100年時代というからには、いったん働くことから離れてリフレッシュしたいなとも思ったりもするのですが、履歴の空白期間が長いと、なかなか再就職が難しかったりするなど、一度レールを外れてしまうと復帰が難しくなってしまうのが日本社会なので、結局のところ働き続けざるを得ないんですよね。
あとがき〜働くことは大切なことだけれど〜
人々が働くことによって社会は成り立っているわけですから、誰もが働かなくなれば社会は成り立たなくなってしまいます。その意味で、働くことはとても大切なことです。
しかし、同じ「働くこと」であっても、「お金のためにいやいや働かなければならない」人と、「生きがいや自己実現のために働く」人、どちらが理想的かといえば言うまでもないでしょう。「お金のために働くことを強制される」人が増えていくなかでは、明るい未来は望むべくもありません。
以前、記事にも書きましたが、私は「どうしても働きたくない」というよりは、「経済的安定」「いつでも好きなことで働ける自由」が欲しくて、そのための手段としてセミリタイア・FIREを目指しています。
個人的に恐れているのは、社会保障給付が今後増えていき、働く人々もますます増えていくことが予想されるなかで、将来は今まで以上に、「働かない人」「働けない人」を「悪」とみなすような風潮・社会になりやしないかということです。
もう少し社会が豊かでゆとりがあればよいのですが…私の予想がいい意味で外れることを祈ります。