はじめまして、ゆーたんと申します。
バブル景気の頃に生まれました。30代のうちに経済的自由・セミリタイア・FIREを目指しています♪
以下、私の自己紹介になります。世間的には高学歴にあたるかと思いますが、就職活動やFXでの投資など、数々の失敗も繰り返してきました💧
5,000字を超える長文ですが、最後までお読みいただけたら嬉しいです✨
大学時代 燃え尽き症候群に陥る

高校時代の1日10時間の猛勉強の甲斐あって、最高学府に無事合格したところまではよかったのですが💧
大学時代は深刻な燃え尽き症候群に苦しみました。高校時代までは「いい学校に入る」というゴールがあり、それまでの過程では「模試」によって、自分の成績や順位が「見える化」されていたため、「勉強して、順位を上げる(強くなる)」というように、ある意味ゲーム感覚で楽しんでいた面がありました。
しかし、大学時代には「就職する、いい会社に入る」というゴールこそありますが、学生時代における「模試」のように、自分の成績や順位を「見える化」するものがありません。
それに、小学校から高校まで受験勉強をしてきた私は、正直勉強することに疲れてしまっていて、勉強は最低限で、学生生活を最大限楽しむ方向に重きを置くようになります。
しかし、学生生活を楽しもうという思いから、自分が入ったサークルは、どちらかいうと飲み会を主目的とするサークルで、私はそのノリについていくことができませんでした。気づけば、オンラインゲームにすっかりはまってしまい、講義もサボりがちになってしまいました。
一生懸命に聞いた講義の成績が「可」だったりするのに、講義をほとんど聞かずに、先生の本や試験対策プリントに沿って勉強した講義で簡単に「優」が取れてしまったりしたことも、講義を出席するモチベーションを下げる要因だったと思います。
就職 キャリア官僚を目指すも挫折、民間企業へ
大学3年生も夏ごろを過ぎると、本格的に就職を意識するようになります。
当時、オンラインゲームにすっかりはまっていて、日によっては昼夜逆転の生活をおくっていた私は、「できることなら働きたくない」「遊んで生活がしたい」と思っていました。俗にいう「廃人」ですね(笑)
そんな私が選んだ職業…それは、国家公務員(キャリア官僚)。私が所属していたゼミの卒業生もキャリア官僚になった人が半分ぐらいいて、各官庁の説明会もたびたび開かれていました。
ちなみに、国家公務員(キャリア官僚)の試験は、筆記と面接がありますが、合格すること自体はそれほど難しくありません。ただ、「合格=採用」というわけではないのが難しいところでして…最終的には官庁訪問といって、希望する官庁内で採用面接が数回に分けて行われます。

この官庁訪問は意外にも厳しく、ここで合格者の60~70%程度が脱落します💧
何を隠そう、私も脱落者の一人です(笑)。官庁訪問を甘く見ていて、ほとんど対策をしてこなかったので自業自得なのですが…
官庁の説明会に参加していると、完全に勘違いしちゃうんです。そう、何だか自分がまるで官庁を「選ぶ側」になったような錯覚。実際にはもちろん「選ばれる側」であり、官庁訪問でも多くの合格者が脱落しているというのに…。
当時は、官庁以外の民間企業を受けていなかったため、あっけなく無い内定となりました/(^o^)\
結局、その後、1年間就職留年をして就職することとなりました。
2012年 長時間労働で身体を壊す
詳細なお仕事の内容は伏せさせていただきますが、私が働いている会社は、常に激務というわけではなく、時期によっては定時あがりが可能です。
しかし、やはりそれでも忙しい時期は毎日22時過ぎることは当たり前で、土曜出勤で23時まで働くこともありました。それが原因で、身体を壊し、1週間ほど会社を休むことになります。

このときのつらい経験があったからこそ、仕事をうまくセーブできるようになったので、その意味で今の自分があるとも言えますし、後々のセミリタイアを目指すうえでのきっかけとなる出来事でもありました。
とはいえ、当時はセミリタイアをしようなんて頭の片隅にもなかったのですが…。
2013・14年 投資に目覚める、セミリタイアを夢見る、FXでビギナーズラックを経験
社会人として働いて数年、ようやく仕事にも慣れてきて、徐々にお金も貯まってきました。しかし、当時の私は投資に全く興味がなくて、給与はすべて銀行に預けていました。
両親からも、投資はギャンブルそのもので、最初は大当たりするかもしれないけど、売るタイミングが難しいし、大損することもあるから碌なものではないと強く言われていました。

そんな私に転機が訪れたのは2013年頃です。私が小さい頃は、銀行に預けても、利息という形で結構な額のお金が入ってきていました。おこずかいの1万円を1年間預けると、だいたい100円の利息がもらえました。
でも、最近は全然利息がもらえなくて、1万円を1年間預けても、10円の利息がもらえるかどうか…という状況でした。このまま銀行に預けてていいのかなあ…と思ったのがきっかけです。
色々お金の運用方法を考えたときに、最初に思いついたのは、株式投資ではなくFXでした。というのも、FXで資産を大幅に増やした人がいるというのをよく広告で目にしていたからです(笑)。
株式投資は昼間しか市場が開いていないので、仕事中に取引をするのは現実的ではありません。だけど、FXなら24時間取引ができる。これなら自分でもできると思って始めたのがFXでした♪
今でこそ、私は株式を長期で保有する投資手法をとっていますが、当時の私にはそんな発想は全くなく、お金は短期売買を繰り返して増やしていくものであると思っていました。
そしてできることなら、「FXで成功して会社を辞めて、旅行に行くなど、悠々自適な生活を送ること」を夢見ていました。これこそ、まさにセミリタイア・FIREの考え方ですね。仕事自体は嫌いではないのですが、どうしてもサラリーマンとしての生活に息苦しさを感じていたからです。
そして、2014年2月、50万円の軍資金でFXを始めました。ビギナーズラックといいますか、結構滑り出しは順調で、ほぼ毎月プラス収支を維持していました。10月には、黒田総裁が追加緩和を発表し、為替レートが大きく円安に触れました。
流れに乗ってその月の利益は15万を超え、最終的に年間では50万の利益を出すことができました。もっとも、この成功が後々の投資人生を大きく狂わせてしまったのですが💦
一方、株式投資は、2014年の下半期に始めました。ちょうどNISA元年ですね。最初のNISA枠は、あまり深く考えずに日本の大型個別株を中心に100万円を投資しました。
ただ色々と勉強していくうちに、インデックスファンド(投資信託)の存在を知ることになります。「株式や債券などさまざまなアセット(資産)をバランスよく組み合わせて、長期で保有していればほぼ確実に資産が増えていく」という内容は、当時の私にはすごく衝撃的な事実でした。
私が読んでいたブログには、「年によって、どのアセットが最大のリターンを得るかはまちまちだから、株式や債券などにまんべんなく投資するべき」とあったので、その方針に沿って、また今後の新興国の成長を信じて、初めて購入したインデックスファンドが世界経済インデックスファンド(株式シフト型)でした。
しかし、FX投資が好調だったこともあり、あくまでも株式投資はサブ的位置づけにとどまっていました。
2015年 スイスショックを経験、FXは綱渡り状態
2014年は好調だったFX投資も一転、15年はスイスショック後の取引で15万円を失ったり、3か月連続でマイナス収支になったりするなど、極めて不安定な収支状況でした。

何とか年間では20万円弱の利益を出すことができましたが、ユーロドルを損切りラインを入れずにホールドし続け、一時60万円の含み損を記録するなど、いつ大損してもおかしくない状況でした。
一方、株式投資はNISA枠でVTI、VXUSを購入していますが、あくまでもNISA枠内での買い付けにとどまっていました。
2016~17年 FXの自動売買で大きな利益も…
2016年に入っても、FXの成績は不安定で、毎月プラスとマイナスを繰り返していました。毎日チャートを見て、テクニカル分析の勉強もしているのに、結果が出ないことに正直焦りを感じていました。
しかし、FXで成功している人の本やブログを読んでは、「いつか勉強すれば、億り人になれるはずだ」と信じて、FX取引を変わらず続けていました。
そして、同年、私がFXを始めたときから読んでいたブログの紹介もあり、自動売買のシステム2つを合計40万円で購入しました。「FXで自分の手法を確立して儲けている人が、他人に情報を売ったりするのか?」「年利100%というのは現実的ではないのではないか?」ということは冷静に考えればわかりそうなものです。
しかし、当時の私には余裕が全くなく、「すぐにでもお金持ちになりたい」「もしかしたら本当に儲かる商材かもしれない」と思って購入してしまいました。

こちらも、滑り出しは順調でした。儲かるにつれて、もっと早く儲かりたいと考え、資金投入量を増やし、取引量を大きくするなど、より積極的にリスクをとる運用をするようになりました。
最終的には500万円の資金を投入したのですが、翌17年には一時700万円に増えました。これがあと4,5年続けば、お金持ちになれて仕事からも解放されると思ったりしたものです(笑)。
しかし、この自動売買のシステムはレンジ相場に強いのですが、トレンド相場には弱く、大量の含み損を抱えてしまうという問題点がありました。17年も下半期に入ると、相場が一方的に動くようになり、取引量を大きくしていたこともあって、多額の含み損を抱えるようになりました。
そして、それを解消するために自分自身の判断で売買を行うことで、さらに取引量を大きくしてしまい、身動きが取りにくくなるという悪循環に陥ってしまいました。17年末には含み損も300万円以上になり、いつロスカット(強制決済)されてもおかしくない状態になっていました。
一方、株式投資は2016年も引き続きNISA枠でVTI、VXUSを購入しています。また、EUのイギリス離脱を問う国民投票で賛成多数となり(ブレグジット)、株価が大きく下落したときに、先進国株式に投資するたわらノーロード(投資信託)も購入しています。結果的にこのときはほぼ底値で買うことができました。
とはいえ、この時点では株式クラスには資産の1/3程度しか振り分けていませんでした。もっと早くから株式投資の優位性に気付いていればと後悔しています。
2018年 FXの自動売買で400万円の損失、FXからの離脱を決意
2017年末には危機的状況にあったFXでしたが、18年の初め、結果的に自分が売買したポジションがきっかけでロスカットの憂き目に遭いました。残った資金はわずか50万でした。
ふだんの取引では利益も出ていましたが、この結果、最終的にFXだけで400万円の損失を出してしまいました。自分にとっての400万円は大金です。しばらく立ち直れず、何度も自分を責めました。

しかし、いつまでも嘆いていても仕方ありません。この損失の結果、自分に才能がないことを自覚し、FXから離脱することを決意しました。
不幸中の幸いか、2015・16年のNISA枠で買ったVTIや、ブレグジットで買った先進国株式の投資信託は、かなりの含み益が出ていました。そのため、株式による長期投資をメインの資産運用に据えてセミリタイアを目指す方針に転換しました。
当時の私はセミリタイア・FIREできる最低ラインを5,000万円に設定していましたが、当時の資産残高は1,600万円前後でセミリタイア・FIREまでにはほど遠い状況でした。それでも、自分自身がセミリタイア・FIREを目指すまでの軌跡をブログとして記録しておくことで、セミリタイア・FIREを実現したいと願う人たちの「役に立ちたい」という思いから、このブログを11月に立ち上げました。
2019〜20年 本格ブログデビュー、コロナショックでの挫折
2019年夏以降、ブログ記事執筆の頻度を高めていったこともあって、少しずつ読者の方も増えていきました。翌20年1月には光栄なことに、ブロガーとしてメディア掲載もいただきました。
しかし、毎日のようにブログ更新をしていたことで、私のプライベートな時間はほぼブログ更新に取られるようになりました。アクセス数が増えれば増えるほど、「アクセス数を減らしたくない」「他人に負けたくない」という焦りもありました。
そんな中迎えた20年2〜3月のコロナショック。まだ序盤の2月末、私は当時60%保有していた高配当株ETFのSPYDを売却する決断をします。しかし、悩んだあげく、3月初頭に株を買い戻しました。
この一連の行動は「狼狽売り」そのもので、多くの反響がありました。それ以降もブログ執筆やSNS投稿を続けていたのですが、私の爆損を願うようなコメントや人となりを否定するようなコメントを目にする機会が増え、ブログやSNSへの反応を見るのが徐々に怖くなっていきました。
そして最終的には書いたブログの公開ボタンが押せなくなり、1日1日先延ばし。私は何も言わずに消えてしまいました。
2020〜22年 雌伏期間を経ての再始動
限界だった私のメンタル。ただ、ブログやSNSからは離れても、投資自体はずっと続けていました。
日本のTwitterや投資情報サイトからは一切距離を置き、海外の投資情報サイトやコミュニティで情報収集を続け、米国株投資を行ってきました。
そして、2022年1月。22か月の雌伏期間を経て、ブログ・SNSを再始動しました。
ブログを消すことも考えましたが、「何度だってやり直せる」という思いと、「このブログを諦めずにもう一度大切にしていきたい」という思いから再びこのブログを書き始めました。
これからも、株式市場の暴落など、幾度となく困難に直面することもあるでしょう。心無い言葉を浴びることもあると思います。それでもブログを続けて自分の思いをカタチに残し、真摯に投資に向き合っていけたらと思っています。
こんなダメダメな私ですが、何卒よろしくお願いいたします。
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